第3部 幸福になるための唱題

 <歴史的な経過> 
 平安時代では法華経の持経者が既にいたことについては第1部で触れましたが、この頃は僧・貴族は読誦(どくじゅ:法華経をよむこと)や法華経の書写が主に行われ、庶民層は漢字能力が劣っていたことや経典を手に入れることが困難であったことにより唱題が行われていたと推定されることが多いです。ただし、唱題は読誦や書写の簡略した修行とみられていたようです。修行の形態は「朝題目、夕念仏」など、念仏と唱題の両方を行っていたり、法華経と菩薩の信仰を一緒に行っていたり、また、「南無妙法蓮華経」と統一されておらず、「南無一乗妙法蓮華経」、「南無平等大会(だいえ)一乗妙法蓮華経」など、法華経の題目が不揃いであったことも確認されています。

 大聖人の唱題 
 丸茂龍正氏の考察では、唱法華題目抄(しょうほっけだいもくしょう)の中に、「現代語訳:故に妙法蓮華経の五字を唱える功徳は莫大である。諸仏・諸経の題目は、法華経の所開(しょかい)であり、妙法は能開(のうかい)であると知って、法華経の題目を唱えなさい。」と題目に功徳があることを説いており、また他の御書でも法華経の題目でなければならないと説いていることを挙げ、これまでの
読誦・書写 → 唱題を逆転し、
唱題 → 読誦・書写という流れに変え、平安時代からの法華経信仰を継承しつつも、唱題弘通により法華経純一信仰・唱題の統一とともに大聖人の思想を含め再出発をはかったのではないかと考察しています。

 唱題(願いを叶えるための祈り方) 
 信心による功徳とその実証についてはお一人おひとりによって体験が異なりますので、その膨大なお話をここにまとめることは出来ませんので、辻 武寿(つじ たけひさ)元創価学会最高指導会議議員・和泉 覚(いずみ さとる)元創価学会最高指導会議議長・河合 一(かわい はじめ)元創価学会副総合教学部長などの指導を多く情報公開しているサイトを参考にしてください。
SGI 〜指導の泉〜 masa - soka-gakkai-international-0507 ページ! (jimdofree.com)

 科学的根拠に基づいた結果論 
 宗教に伴う科学的な定義として捉えるのは困難な部分があることを前提に、日本・世界の公的機関において ” 唱題 ” が身体に変革をもたらす影響や物理的な現象を引き起こすなどの実証結果の公表は見受けられません。なお、研究すらされていないように見受けられます。ただし、一個人や民間団体の中ではその真実を求めている様子はありますので、次にご紹介します。

 ただし、上記についても全部を解明出来ているわけではないので、最終的な問いのなぜ願いは叶うのか・なぜ幸福になれるのか、その理由と真実は未だ解らないということになります。
 つまり、現在のところ、唱題行の実証結果は個人の感得(感じ悟る)でしかないので、他人が見れば功徳なのかどうなか分からないということにもなります。

(おわりに)

 誰が指示したわけでもなく大聖人生前の奈良時代からある南無妙法蓮華経。難に遭う事が法華経を身で読みきることになると、その予言の通り命に及ぶ大難を受け続けた大聖人。その信仰体験を通してお遺しになった大聖人のたくさんの文章(現代では御書全集)に説かれたお題目についての教えは数限りにないほど示されています。この経緯からみても、個人の都合の良い感想や他人の思う気のせいなどではない ” 何かがある ” とみて間違いないでしょう。